明末中國佛教の研究 415

三 天台と禅の折衷


禅宗から天台宗を見ると、天台宗徒は説食数宝・尋章摘句・有聞無修の連中であるにすぎないという批判がある。また天台宗から禅宗を見ると、禅者は枯守葡団・暗証無聞の野狐にすぎないと判ずる。これらの問題の焦点は、離言と依言との論争から生じたものである。よって智旭は、天台と禅宗の折衷意見を発表して、この両者の対立を解消し和融を喚びかけたのである。たとえば、「示如母」の法語に、

道不在文字、亦不在離文字。執文字為道、講師所以有説食數寶之譏也。執離文字爲道、禪士所以有暗證生盲之禍也。達磨大師、以心傳心、必籍楞伽為印、誠恐離経一字、卽同魔説。智者大師、九旬談妙、隨處結歸止觀、誠恐依文解義、反成佛寃。少室・天臺、本無兩致、後世禪旣謗教、教亦謗禪、良可悲矣。予二十三歳、卽苦志參禪、今轍自稱私淑天臺者、深痛我禪門之病、非臺宗不能救耳。(宗論二ノ五巻一四頁)

と述べている。ここにいう「道」とは、中国的な用語であって(1)、梵語には二種の義があり、その一つは boddhi のことで、原義は「覚」であるが、中国仏典の古訳には、「道」とある。もう一つは marga のことで、原義は行履すべき路の意であり、「八正道」・「方便道」などがあるが、智旭はここで「道」という理念によって現前一念心の称性功徳と認めている。すなわち、本来清浄の性徳および全性起修の修徳を含む性修不二の如来蔵である。如来蔵の本体は離言の真如であり、如来蔵から変現した根身器界・心心所法は依言の真如である。したがって、この「道」は、文字そのものではなく、文字を離れたものでもない。禅宗と天台宗はいずれも道を修め、道を証悟する法門なので、どちらにしても不執文字また不離文字がたてまえであるはずであるとする。すなわち、