明末中國佛教の研究 416

禅宗の初祖とする菩提達磨は、以心伝心(2)の説を首唱したにもかかわらず、必ず『楞伽経』をもって心に印証しているし、また天台智者大師は金陵瓦官寺で九十日間『法華玄義』を説き、結論には止観を修行することに帰着している。これらによって禅宗と天台のいずれも、心法と文字法を不離不執していることが、明らかであると主張するのである。

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2 「以心伝心」の典拠について、三つがある。①『達磨大師血脈論』\卍続一一〇巻四〇五頁Aおよび大正四八巻三七三頁B、②『南宗大梵寺施法壇経』\大正四八巻三三八頁A、③『六祖大師法宝壇経』\大正四八巻三四九頁AーB

四 儒教と仏教の融和


智旭が四十代に『周易禅解』と『四書蕅益解』を著わした目的は、「以禅入儒、務誘儒以知禅」(1)である。ここでの「禅」とは、中国の祖師禅ではなく、『楞厳経』依拠の如来禅である。周敦頤(一〇一七ー一〇七三)の「太極無極」という説を『楞厳経』の妙真如性と解釈し、真如随縁不変・不変随縁の説を易理と易学に解釈し、そして、天台教学の方法論によって八卦六十四爻を疏釈したのである。いわば仏典註疏の方式で、『周易』を解明しているにすぎない。しかしながら、儒教と仏教の優劣を比ベると、儒教は仏教入門ヘの一つの階段にすぎない(2)が、