明末中國佛教の研究 417

華厳教学の事事無礙の宗旨をもっていえば、儒教と仏教のどちらも同源同解の融和論ができるのであると主張している(3)のである。この原則に基づいて、智旭は晩年に次の見解を残している。

馬太昭、自幼留心易學、獨不以先入之言為主。客冬、聞臺宗一切皆權・一切皆實・一切皆亦權亦實・一切皆非權非實之語、方知周易亦權亦實・亦兼權實・亦非權實。又聞現前一念心性、不變随縁・随縁不變之妙、方知不易之為変易・變易之為不易。(宗論二ノ五巻二〇頁)

これは、天台教学の権実論を『周易』の解説に用い、また智旭の現前一念心性の説によって、『周易』の変易と不易の理念を並べて論じているのである。一実一切実・一権一切権という説は、天台円教の立場であり、現前一念心性というものは、仏教の綱領であるとする(4)智旭は、仏教の円教綱領で儒教の『周易』を対釈したのは、実に『周易』そのものを円教綱領ほどに推挙していたからであろう。

1 「周易禅解序」。\宗論六ノ二巻九頁

2 ①宗論二ノ四巻一六頁、②宗論二ノ四巻五頁、③宗論五ノ三巻一四頁

3 宗論四ノ一巻一六頁

4 「示閔六飛」の法語に、「仏法貴精不貴多。精貫多、多不能専精故。提綱挈領之道、不可不講也。綱領者、現前一念心性而巳。」と述べている。\宗論二ノ五巻九頁