天文学の知識を齎し、その上、中国の儒教の典籍を中心として学び、また仏書と道書までも、ある程度の閲覧をした。とくに彼らは姓名を中国風に変更し、中国人の服を着て、中国の語文を利用し、さらに、中国伝統の正統の政治原則をなす儒学および儒教を学ぶことによって、彼らの中国式の天主教教義をつくり上げた。

第一冊目の神学書の漢文著作、羅明堅の『天主聖教実録』は、万暦十二年(一五八四)広州で出版し、第二冊目の利瑪竇の『天主実義』は、万暦二十三年(一五九五)に、江西省の南昌で初版発行したが、万暦三十一年(一六〇三)北京で修訂版を発行した。この『天主実義』の内容は、八篇に分述してある。その第二篇と第五篇は、専ら仏教と道教、ことに仏教を相手として、激しい排斥論を展開させたもので、たとえばその第五篇の中に、仏教の六道輪廻説・不殺生説・放生説に対して論難している。

次いで、徐光啓の『釈氏諸妄』がある。表題通りこの本の攻撃対象は仏教であり、その目次を抄録して見ると、①破獄之妄、②施食之妄、③無主孤魂血湖之妄、④焼紙無霊之妄、⑤持咒之妄、⑥輪廻之妄、⑦念仏之妄、⑧禅宗之妄という八項目であって、仏教の虚妄であるところを指摘している。実はこれらの信仰と行事は、中国の民間信仰になっている仏教であり、中心思想には触れていないにもかかわらず、中国近世仏教の弱点が天主教の徐光啓に痛撃されたといえる。これに対して仏教側から反駁したのは、虞山北澗の普仁の作った『闢妄略説』であるが、仏教の史伝資料の中に、この普仁の事蹟に関するものは求められない。

また楊廷筠の『天釈明辯』という著作がある。この本の内容は、一見天主教と仏教の教義論弁であるが、実は仏教の攻破を目的としたものである。その目次を見れば、