明末中國佛教の研究 48

利瑪竇の逝世年は万暦三十八年であるからこの祩宏の反発に対しては、利瑪竇は知らないはずであるが、今日、『四庫全書』の子部雑家類に収存されている利瑪竇の『辯学遺牘』の中には、雲棲祩宏の「天説」四篇を駁斥する書牘が見られる。いうまでもなく、これは明末天主教徒の偽作であろう(1)。しかしこの資料によって、祩宏の『天説』の反駁対象は利瑪竇の『天主実義』であったに違いないと推定し得るのである。

智旭の闢邪集


智旭の『闢邪集』の刻印年代は、その序によって判明している。すなわち、毅宗帝の崇禎十六年(一六四三)、智旭四十五歳の時である(2)。彼が目にした天主教の書籍は、その『闢邪集』にあらわれている左の四種である。

以上四種の天主教の書物は、新・旧約のような聖書ではなく、儒教調和と仏教反対の宣伝用の著書である。