智旭の『闢邪集』の中に見られる天主教の謗仏論の要点は、まとめていえば、①輪廻転生説の否定論、②三千大千世界および華蔵世界説の荒唐論、③偶像崇拝の不合理説、④釈迦世尊の凡夫説、⑤仏教経典の荒偽説などである。これらの論点は天主教の教義と全く異なるので、これを排斥しなければ、仏教徒を天主教の信者に転身させることはできないからである。そこで智旭は彼の立場で、天主教を審査し、然る後に、天主教こそ「邪教」であると批判したのである。 実際には当時の智旭は、天主教の思想淵源とその歴史背景に関する知識が不十分なために、天主教に対する実質的な理解について、ある程度の誤解がないわけではない(4)。また、智旭はあくまでも仏教の側に立つて、天主教を邪教と指摘しているにもかかわらず、その天主教の教師に対しては、悪魔の化身とは思わず、却って彼らを逆行道の不思議菩薩だといい(5)、智旭五十四歳(一六五二)に著わした『楞伽経義疏』巻第三の外道の神我執を論ずるところでは、また天主を邪教と述べている(6)。彼が天主教についてこのように深い関心をもったのは、智旭の時代が、ちょうど天主教が中国教区を開拓した時代にあたり、その科学の知識と技術を伝教の道具とする西洋人の伝教師が中国ヘ次々に来往し、仏教の攻撃運動を展開した時代であったからである。智旭が感受した衝撃の大きさは、想像するに難くないであろう,

1 陳垣著『重刻辨学遺牘』参照。

2 陳垣著『清初僧諍記』巻一に、「居士鍾始声、崇禎間曽輯『闢邪集』、攻天主教、後為僧、名智旭。」と 記しているが、実は『闢邪集』を作成した時の智旭は、すでに四十五歳の高僧であった。陳垣の誤りは明白である。

3 「天学初徴」一難から十二難まで参照。(駒沢大学蔵本一ー四頁)

4 「天学再徴」第二十難参照。(駒沢大学蔵本一三ー一四頁)

5 「刻闢邪集序」参照。

6 『楞伽経義疏』巻三に、「如近世天主邪教、計有天主、