すべて朝廷の命令にしたがって統制の僧録司を設立し、僧侶活動と生活基準を規定し、さらに指定される経典を宣揚し、教典の編纂整理をしていることである。表面的に見ると、仏教事業と人材の登庸は、かなり盛んであったといえるが、思想史の立場からこれを言えば、それほど進展したとは言えない。

明太祖朱元璋の仏教政策は、ただ開国君主としての国民統制の手段にすぎない。仏教に対する元朝の宣政院の制度に習って、統制機関としての善世院を南京の天界寺におき、統領・副統領・賛領・紀化等の僧官の制を定め、道教に対しても、竜飛山の道士張正常に、統管天下道教の詔を下した。また洪武十五年(一三八二)には、寺院を三分類する命令を発した。これは『釈氏稽古略続集』巻二に、次のように記録されている。

分為三等、曰禪・曰講・曰教。其禪、不立文字、必見性者、方是本宗。講者、務明諸經旨義。教者、演佛利濟之法、消一切現造之業、滌死者宿作之愆、以訓世人。(卍続一三三巻一二二頁D)

ここに説かれた「三等」とは、三類の意味と少しく異なる。既述の如く明代の仏教は禅宗中心であるので、明初にあっては、僧官になることのできる僧侶は、すべて禅僧であった。それ故、禅・講・教の三分類をして、「禅」は不立文字である明心見性ということで第一位になり、「講」は経義の理解と講演の義学沙門であって第二位になり、「教」とは教学とは異なり、祈福・延命・葬式・追善供養の法要ばかりに従事する僧侶で、これを第三の末位に置くのである。

この三分類の僧侶は、袈裟の色もそれぞれはっきり分別されており、禪僧は黄色、講僧は紅、瑜伽の教僧は葱白の色であった(1)。

瑜伽教僧の妻帯問題


僧侶の三分類において、その禅と講の二類は、