原理の湿性は全く同一のものであるのと同じである。かようなわけで相宗の唯識の説は、水と波のような真心の現象面を説明するものであり、性宗の真如と如来蔵等の説は、湿性とも言うべき真心そのものの本質を解明するための方便施設である。永明延寿はかように主張して、性相二宗の矛盾点を調和しまた統一をした。

中国における性相融会の説は、地論宗の学者によってすでに起こっていたが、天台宗・華厳宗の学匠、ことに清涼澄観の『華厳経疏』、圭峰宗密の『円覚経大疏』には強く提唱せられている。永明延寿の『宗鏡録』はこれを一段と推し進め、性相平等の理念を建立した。そこで智旭の思想も、『宗鏡録』にヒントを得たことが考えられる。かくして智旭は、五十五歳(一六五三)に著した「較定宗鏡録跋」に、次のように『宗鏡録』の価値と地位を評価している。

集三宗義學沙門、於宗鏡堂、廣辨臺・賢、性・相旨趣、而衡以心宗、輯為、宗鏡録、百卷。不異孔子之集大成也。…(中略)…細讀宗鏡問答・引證、謂非釋迦末法第一功臣可乎。(宗論七ノ二巻一六ー一七頁)

永明延寿がこの「唯一真心」をもって、天台・賢首と法性・法相の差異点を融通し、百巻の『宗鏡録』を彙集したことは、実にこの末法時代における釈尊の第一功臣というべきであり、もし中国の儒教の人物と比べるとすれば、『孟子』の「萬章」篇にいう三聖の大成を集める孔子と差異がいないというのである。これは智旭が永明延寿に対する讃頌である。

雲棲祩宏の性相融会論


明末に至ると、性相融会の要求は、明末の四大師の共通の課題になっているので、以下にこれを紹介したいと思う。

雲棲祩宏(一五三五ー一六一五)の性相融会説については、彼の『竹窗三筆』に、「性相」を主題とした、次の叙述が見られる。