なお明末四大師のうちに、性想融会論に立脚して唯識関係の著作を註釈した中で、真可には『八識規矩頌解』とその『唯識略解』がある。徳清には『百法明門論論義』および『八識規矩通説』があるが、『成唯識論』を註解して、その独特な性相融会説を発明したのは、智旭ただ一人であった。

1 『華厳経疏』巻二に、「第二叙西域者、卽今性相二宗、元出彼方。故名西域。謂那蘭陀寺、同時有二大徳、一名戒賢、二名智光。」とある。\大正三五巻五一〇頁B

2 『証道歌』には、「入海算沙徒自困」とある。\大正四八巻三九六頁C

3 大正四八巻三九五頁C

4 『大乗起信論裂網疏』序に、「乃後世講師、輙妄判曰、天親造識論、是立相始教。竜樹中論、是破相始教。馬鳴起信、是終教兼頓。並未是円。鳴呼、其不思甚矣。」とある\大正四四巻四二二頁BーC

5 宗通と説通の説については、『楞伽経』巻三参照。\大正一六巻四九九頁BーC

6 「預祝乾明公六十寿序」に、「顧所私淑、則雲棲之戒、紫柏・六祖之禅、荊渓・ 智者之慧也。」\宗論八ノ二巻一五頁

7 『紫柏尊者別集』巻一。\卍続一二七巻四六頁B

8 『成唯識論観心法要』巻七および巻十参照。\卍続八二巻二九五Aおよび八二巻三四八頁C

9 『八識規矩頌直解』参照。\卍続九八巻三〇七頁A

五 明末における僧団の様相

門派間における正統伝承の論争


以上、例挙した明末の四大師のほか、当時の仏教界において、学問者と禅者の有名僧はかなり数多い。しかし、これら有名僧の大多数は、依然として各々の宗派門庭の成見に固執している。