さらに、③「祖堂幽棲寺丁亥除夕普説」(12)に指摘しているのは、「当時の流俗知見をもつ僧侶が、出家して参学すること、すなわち善知識になるのを望むのは、我執ではないであろうか。あるいは戒律をもって教学を非難し、教学をもって禅を排斥し、禅をもって教学と戒律を軽貌するのは、法執ではないであろうか。」と論述している。

最後に、④「示世聞」(13)の法語に、「当時の仏教者は、たとい禅・教・律を徧く学んだ者でも、それを貫徹会通することはできない。十年または二十年の参訪遍歴をしたのちに、単なる形式的な禅者の機鋒転語・講者の消文貼句・律者の衣鉢錫杖をもって、一つの叢林寺院を造る。そして方丈の高座に坐わり込んで、通禅・通教・通律を自己宣伝して、愚迷の人々を騙す。実に彼らは、仏心の禅・仏語の教・仏行の律に、全く背離した者である。」と明示されている。

習禅者の病弊


習禅者の病弊については、三つの文献を挙げることができる。

まず、①「示憨師待者慈門」(14)の法語に示されたところでは、「当時の禅者は、単なる法派門戸を競い、修行といえば、古来禅宗祖師等の参話頭・棒喝・機鋒などの作風の真似をして、公案を偽作したり戯論を増したりするだけである。これは実に優人演教者の俳説にすぎない。」という。

ついで、⑧「示象巌」(15)の法語に示されるところでは、「当時の禅僧は、僅かに祖師遺風の外貌を盗取し、すぐに気狂い染みた無恥な姿態をあらわす。彼らの話しは、仏祖を越えているように言っているが、その行為は、実に畜生よりも下品に落ちる。」という。

さらに、③「示慧含」(16)並びに「示漢目」(17)の法語に、述べるところによれば、「近世の禅者は、生死大事の問題を解決するためではなく、単に坐禅の模様真似をして、座蒲団のうえに、居眠りをしており、