天台宗の病弊


これについて、智旭の『八不道人伝』にいう所は、門庭堅守の現象があると批判しており(19)、「示巨方」の法語には、明末の天台宗を、「名盛実衰」(20)と評論している。当時の天台学者の人数は、少なくないが、その中に偉大な人物は見えない。智旭の「復松渓法主」の書簡にあらわれた同時代の天台学者に、伝燈の門人帰一受籌・達月管正・松渓法主等の三人がある。しかしながら、この三人に関する著作と伝記は残していない(21)。なお、智旭の「寄達月法主」の書簡に、皐亭一派の天台学者を、智旭は「有名無実」(22)と批判しているのである。

1 卍続一三九巻四頁AーB

2 卍続一四四巻

3 卍続一四五巻

4 宗論五ノ二巻二〇頁

5 宗論五ノ三巻一七頁

6 拙作『智旭の著作にあらわれた人々の系譜』。\「印度学仏教学研究」二二ノ一  巻二八九頁

7 宗論五ノ三巻一一ー一三頁

8 渋谷亮泰著『昭和現存天台書籍総合目録』巻上参照。

9 蔣維喬著『中国仏教史』四巻四六頁

10 宗論二ノ一巻九頁

11 宗論一ノ一巻一三頁

12 宗論四ノ一巻一頁

13 宗論二ノ三巻一〇頁

14 宗論二ノ一巻一三頁

15 宗論二ノ一巻一四頁

16 宗論二ノ一巻八頁

17 宗論二ノ二巻八頁

18 (1)宗論二ノ四巻八頁、(2)宗論二ノ五巻一八頁

19 宗論巻首三頁

20 宗論二ノ五巻三頁

21 幽渓伝燈の門下の中に、ただ帰一受籌一人は、『毘尼事義集要跋』を残している。\卍続六三巻一六五頁AーC

22 宗論五ノ二巻一八頁