当時に最も人気のあった経典である。
なお元と明朝の際に、士大夫の文章の中に、儒書と仏典を並用するものが、非常に多い(6)。けれども、彼らは必ずしも仏教の信仰者ではなく、また居士を自称していても、必ずしも仏教に帰信したものではなかった。たとえ仏法の信仰をもつ居士といっても、もとの儒学の基礎を否定することは絶対に不可能であった。それ故、彼らと書簡を往復し、仏法を談論した高僧が、儒学の知識を以て仏法を与える媒介にした場合は多い。この間の事情は、智旭の作品の中にもよくあらわれているところである。たとえば、「答唐宜之二書」・「致知格物解」(7)等の文書の中に、いずれも儒仏を並論して、仏教の真義を解明しているのである。特に智旭の「儒釈宗伝竊議」(8)という論文は、その性質上この面での極めて代表的なものと思われる。
1 袁了凡の生歿年代に関する資料は、『居士伝』巻四十五\卍続一四九巻四八三頁Cおよび『居士伝発凡』に述べた撰著年代\卍続一四九巻三九六頁Dを対照して考えることである。
2 『居士伝』巻四十四。\卍続一四九巻四七九頁Bー四八〇頁C
3 卍続二一巻四三頁D
4 宗論五ノ二巻二〇頁
5 これは『居士伝』の資料より整理したものである。
6 『居士伝発凡』参照。\卍続一四九巻三九六頁Bに、「元明士大夫之文字、類多出入儒仏。亦必其行解相応、始堪采択、否則祇成戯論、何足数也。」とある。
7 ①宗論五ノ二巻一八頁、②宗論四ノ三巻二〇頁
8 宗論五ノ三巻一三ー一七頁