明末中國佛教の研究 98


智旭時代の代表的天台学者は、幽渓伝燈であるが、伝燈が天台宗一宗だけの立場を固執する態度に対して、智旭は賛同していない。それは智旭二十五歳の春、伝燈と一度面謁(15)しているにもかかわらず、天台宗の継承者とはならなかったことからも知られよう。しかも、智旭が天台の法系に属すれば、彼の諸宗融和の著述思想というものが、天台の範囲を逸出して、却って山外背宗者となる恐れがあるため、結局彼は天台系正統派に入らなかったのである。

智旭の師承関係


以上五つの文献に見られた智旭の私淑する人物、並びに師承に関する人物、そして、